東京高等裁判所 昭和31年(ネ)1146号 判決 1963年3月30日
第一一四六号事件被控訴人(原告) 岡野正吉 外一名
第一一四七号事件控訴人(原告) 上田耕造 外二名
第一一四六号事件控訴人・第一一四七号事件被控訴人(被告) 茨城県知事
主文
一、第一審原告岡野正吉、同石田兼司関係
原判決を取り消す。
同原告らの請求はいずれもこれを棄却する。
二、第一審原告上田耕造関係
同原告の控訴を棄却する。
原判決主文第一項の次に「右の原告所有区域と表示した地域中その余の地域に関する部分については原告上田武男の共有持分二分の一を対象として被告のなした買収処分を取り消す。」との一項を加える。
三、第一審原告上田武男関係
同原告の控訴を棄却する。
原判決主文第一項の次に「右の原告所有区域と表示した地域中その余の地域に関する部分については原告上田耕造の共有持分二分の一を対象として被告のなした買収処分を取り消す。」との一項を加える。
四、第一審原告上田一郎関係
原判決中同原告敗訴の部分を取り消す。
被告が原判決別紙目録第一〇の土地につき昭和二三年七月二日を買収期日としてなした買収処分のうち原判決別紙第二図面の同原告所有区域と表示した地域中(ワ)(ム)(ウ)(ヰ)(タ)(ヨ)(ワ)の各点を順次図示の如く連結した線で囲まれる地域および(ソ)(レ)(ハ)(カ)(ソ)の各点を順次図示の如く連結した線で囲まれる地域に関する部分を取り消す。
五、訴訟費用中第一審原告岡野正吉、同石田兼司と第一審被告との間において生じた分は第一、二審を通じこれを三分し、その二を第一審被告、その一を右第一審原告らの各負担とし、第一審原告上田耕造、同武男の各控訴費用はそれぞれ右第一審原告らの負担とし、第一審原告上田一郎と第一審被告との間に生じた分は第一審の分は第一審原告、第二審の分は第一審被告の各負担とする。
事実
第一審原告(以下単に原告という)ら代理人は、(一)原判決中八、原告上田耕造関係部分につき、同原告のその余の請求はこれを棄却するとある部分を取り消す、第一審被告(以下単に被告という)が原判決別紙目録第八の土地につき昭和二三年七月二日を買収期日としてなした買収処分のうち原判決別紙第二図面の同原告所有区域と表示した地域中(ケ)(マ)(コ)(フ)(ケ)の各点を順次図示の如く連結した線で囲まれる地域に関する部分を取り消す、同原告所有区域と表示した地域につき原告上田武男の共有持分二分の一を対象として被告のなした買収処分を取り消す、(二)原判決中九、原告上田武男関係部分につき、同原告のその余の請求はこれを棄却するとある部分を取り消す、被告が前記目録第八の土地につき前記日時を買収期日としてなした買収処分のうち前記図面の同原告所有区域と表示した地域中(ク)(ヤ)(マ)(ケ)(ク)の各点を順次図示の如く連結した線で囲まれる地域に関する部分を取り消す、同原告所有区域と表示した地域につき原告上田耕造の共有持分二分の一を対象として被告のなした買収処分を取り消す、(三)原判決中十一、原告上田一郎関係部分につき、同原告のその余の請求はこれを棄却するとある部分を取り消す、被告が前記目録第一〇の土地につき前記日時を買収期日としてなした買収処分のうち前記図面の同原告所有区域と表示した地域中(ワ)(ム)(ウ)(ヰ)(タ)(ヨ)(ワ)の各点を順次図示の如く連結した線で囲まれる地域および(ソ)(レ)(ハ)(カ)(ソ)の各点を順次図示の如く連結した線で囲まれる地域に関する部分を取り消す、(四)訴訟費用は第一、二審共被告の負担とする、との判決と、被告の控訴につき控訴棄却の判決を求め、被告代理人は、原判決中五、原告岡野正吉、同石田兼司関係部分を取り消す、同原告らの請求はいずれもこれを棄却する、訴訟費用は第一、二審共右原告らの負担とする、との判決と、原告上田耕造、同武男、同一郎の各控訴につき控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上および法律上の主張は左記のほか原判決事実摘示と同一であるから、これをここに引用する。
原告ら代理人の陳述
一、原告岡野正吉、同石田兼司の関係
(一) 原告岡野正吉に対する買収令書には、住所を茨城県東茨城郡白羽村大字下吉影下原と表示した上名宛人を桑野庄吉と表示してあるが、当時白羽村なるものは存在せず、原告岡野正吉の住所と村および大字において全く異り、氏名も相違し、住所氏名と相まつて全く誤記の程度を超えたもので、右原告との同一性を認識せしめるに支障を来し、そのため異議申立手続等本訴前の行政救済手続を為し得なかつた点よりみても、買収処分を違法ならしめるものと信ずる。
(二) 原告岡野正吉が本件土地以外に所有する山林六反一九歩は本件買収処分当時から現況が薪炭採草林に適する土地でない。
すなわち、右土地のうち東茨城郡白河村大字上吉影字宮添六五〇番地所在六畝二歩は竹林であり、同所字天神峯七五二番の八所在五反四畝一一歩は屋根葺用の萓場であつて、その間に約三〇年生の松が十数本点在しているに過ぎない。しかるに、本件土地は櫟林で好個の薪炭採草林として営農上不可欠の土地である。
(三) 原告石田兼司が所有している一反八畝一六歩の山林も、本件買収処分当時はいずれも樹齢約四年の松苗を人工植林したもので、薪炭林としてはもとより採草林として使用不可能な山林で結局当時山林無きに等しく、現在においても採草林としては適せず、燃料資源として原告石田兼司個人の必要量の十分の一も充たし得ない状況下にある。
(四) 原告岡野、同石田両名の分については被告主張の如く買収処分が一部取り消されたことは認めるが、右取消処分は左記の理由により無効である。
(イ) 右取消処分の通知書は右原告らのうち原告石田兼司に対してのみ営農上必要な部分として取り消したというのみで、行政庁自らが本件買収処分に瑕疵あり、違法原因ありと認めて取り消したものであるか否かにつき取消の理由が明かでない。
(ロ) 行政庁の取消権は相当の期間内にこれを行使することを要するもので、相当の期間内に行使しないときは失権を来すものと考えるべきである。異議、訴願、訴訟について一般人民に対しては極めて短期間の制限を付している趣旨に照らし、信義誠実の原則に基づき、絶対に無制限ではあり得ない。本件買収期日は昭和二三年七月二日であるから、既に十ケ年以上も経過し失権を来していると考えるべきである。
(ハ) 一部取り消した部分すなわち六反二畝歩の土地は、一部は湿地であり、半分以上四類地が含まれ、一部が採草地として計画されていることがうかがわれる。してみれば、元来劣悪な土地で不適地が大部分であつて、櫟林の生育も普通の土地に比すると著しく遅れ、その採取量も採草林としての価値が著しく減殺されている。しかも元来一部を被告が採草地として計画している以上、これを利用し来つた関係者全員の明示の同意がない限り行政庁といえども取消権は制限を受けると解すべきである。
(ニ) 右取消処分書添付図面(別紙図面)中符号9および10の間間口二九尺、符合9より奥行五、五間の区域は耕地化されている。
(五) 仮りに右取消処分が有効であるとしても、これによつて原告石田兼司の営農上必要な採草地が確保されたという被告の主張はこれを争う。買収処分を取り消された土地は南側が高く北側が低く傾斜甚だしく、北側半分は湿地で本件土地のうち地形上最も劣悪な地域で薪炭採草林として利用度が著しく減殺されている状況にある。
(六) 本件買収処分の取消につき行政事件訴訟特例法第一一条が適用されるべき理由はない。
この点に関する被告主張事実中本訴提起および第一審判決の各日時ならびに赤津忠次、沼田清、上田庄介の三名が家屋を建築、居住していることは認めるが、その他は争う。本件土地の買収処分を取り消しても関係開拓者に配分されて然るべき土地が左記のとおり存在するから、本件買収処分を取り消してもなんら開拓者に支障を来すことなく、公共の福祉に反することはあり得ない。
(1) 本件土地中配分番号四一号の西側に隣接する字下原六五二番の一山林三反六畝歩は、本件土地と同時に買収処分の対象とされ立木は伐採して存在せず、開墾適地であるのに原野同然の土地として現在まで十数年放置し、薪炭採草林としても利用し得ない状況のまま放置されている。
(2) 本件土地より南西方約一五〇米距てた字下原四八九番の一山林二反二畝一三歩の内約四反歩も同一状況である。
(3) 字後久保三六四番三畝一九歩、同字三六五番五畝二七歩、同字三六六番二畝一〇歩、同字三六七番八畝一九歩以上計二反一五歩は、本件土地と同時に買収処分を受け、平坦な土地で開墾に適すると思料されるのに、未だ山林のまま開墾せず放置されている。
(4) 上田三之助は単身入植者として一町歩配分を受け、本件土地に二反五畝二二歩一時使用を許可されたとすれば、同人は昭和二六年九月五日死亡しているので、本件土地以外に配分を受けている七反四畝八歩は本件土地と共に不要に帰している。
(5) 寺内洸は上田三之助の配分の内、字岸高山四八二のイ八反一四歩の内五反歩を昭和二六年頃より継続耕作している。
(6) 上田ふゆは同所の上田耕一と結婚しその同一世帯員で、その耕地面積は一町五反五畝五歩であるから、本件土地を増反配分の必要はない。
(7) 本件土地には配分を受けていないが、関係開拓者と同一組合(生井沢帰農組合)に属する本田次男は入植者として一町歩配分を受けているところ、同人は本田虎二の次男であつたが長男が戦死したため父と同一世帯で同居し、一町五反五畝の耕地のほか配分一町歩計二町五反五畝を耕作することになり、耕地過剰の故に大字生井沢字上原五四六番畑六畝二二歩を大字下雨谷久家庫之介に貸し付けており、入植者として一町歩配分の必要はない。
(8) 上田半之助は上田三之助の配分の内、鳥羽田往還付東一、一五五番の八、一町四反二畝一四歩の内二反五畝を耕作し、自己配分の内字下原六五二番の一二、一反五畝歩を小川町字貝谷居住の土井某に貸し付けている。
(9) 上田熊司は老齢で妻と二人世帯であるが、本人は東京方面で土工に従事し、二ケ月に一回位しか帰省せず離農していて、入植者として配分の必要はない。
(10) 沼田清、上田庄介両者はいずれも増反者として土地の配分を受けているのに、沼田は四畝二三歩を、上田は八畝四歩を擅に宅地に転用し、農地法の趣旨に反して土地を利用している。
(11) 同一組合員(前記(7)の組合)上田虎男、寺内せつ、上田庄兵衛、上田国男、上田義夫らに各一反歩宛、増反者として必要ないのに形式上配分している。
二、原告上田耕造、同上田武男の関係
(一) 原判決添付目録第八の字下原六五一番の七の山林を右原告らの薪炭採草林として保有せしめるべきであるとの主張(原判決事実摘示(8)の(ニ)(ホ))は代理人の錯誤によるものであるから撤回する。
右原告らは右山林をいずれも当初から畑地として開墾すべき意思を有しており、指定前一部を自家開墾し、被告からも本件係争地を含め、原告上田耕造は一反七畝、同上田武男は一反歩仮配分され、いずれも増反者として認められている程で、同人らの営農上欠くべからざる土地であるのに敢て買収するのは違法であり、同人らに保有せしめるべきである。
(二)(イ) 右原告らに対する買収処分は、単独所有となつたものを依然共有としてなしたもので、結局一筆の土地のうちの一部の買収であるから、その買収すべき地域を買収令書上各特定すべきであるのにこれをなさず、内容不確定な行政処分で全面的に取消を免れない。
(ロ) 原判決はその理由(8)(イ)において共有物分割の認定を、同(ロ)において一部開墾の認定をし、(ニ)において結論として、「以上のとおりであるから原告耕造については別紙第二図面中(ケ)(マ)(カ)(オ)(ケ)線内の地域(同原告所有区域)のうち(フ)(コ)(カ)(オ)(フ)線内の地域に関する限り買収処分を全面的に違法として取り消し、その余の地域については、原告武男の共有持分を対象とする部分を取り消すべく、原告武男については同図面中(ノ)(ワ)(ケ)(ノ)線内の地域(同原告所有区域)のうち(ノ)(ワ)(ヤ)(ク)(ノ)線内の地域に関する限り買収処分を全面的に取り消し、その余の地域については原告耕造の共有持分を対象とする部分を取り消すべきである。」と判断した。しかるに主文においては原告上田耕造につきその第八項で、「被告が別紙目録第八の土地につきなした買収処分のうち別紙第二図面の原告上田耕造所有区域と表示した地域((ケ)(マ)(カ)(オ)(ケ)の各点を順次図示の如く連結した線で囲まれた部分)中(フ)(コ)(カ)(オ)(フ)の各点を順次図示の如く連結した線で囲まれる地域に関する部分を取り消す。同原告のその余の請求はこれを棄却する。」として、その余の地域について原告武男の共有部分を対象とする部分については触れていない。また原告上田武男につき主文の第九項で、「被告が別紙目録第八の土地につきなした買収処分のうち別紙第二図面の原告上田武男所有地域と表示した地域((ノ)(ワ)(マ)(ケ)(ノ)の各点を順次図示の如く連結した線で囲まれる部分)中(ノ)(ワ)(ヤ)(ク)(ノ)の各点を順次図示の如く連結した線で囲まれる地域に関する部分を取り消す。同原告のその余の請求を棄却する。」として、その余の地域について原告耕造の共有持分を対象とする部分については同じく遺脱していて、理由と主文との齟齬があり、この点につき原判決は取り消さるべき違法が存する。
三、原告上田一郎の関係
同原告の薪炭採草林不足の主張(原判決事実摘示(10)の(ロ))は代理人の錯誤によるものであるから撤回する。
同原告は大正一一年六月より終戦まで引続き旧海軍に奉職し終戦により外地より引き揚げ、専業農として生活を維持するため、昭和二三年四月二九日当時田畑計五反五畝一五歩を耕作していたが、家族五人を抱え到底営農上の耕地が少きに失し、生活に窮し、原判決添付目録第一〇記載の土地を全部開墾して畑地となすべく指定前約一反五畝歩を自家開墾した。被告からも本件係争地を含め七反七畝歩仮配分され増反者と認められている程で、本件土地は同原告の営農上欠くべからざる土地であつて、全部開墾の上畑地として同原告に保有せしめるべきで、これを買収したのは違法である。
被告代理人の陳述
一、原告岡野正吉、同石田兼司の関係
(一) 原告岡野正吉が本件買収山林以外に所有する六反一九歩の山林は薪炭採草に適する。仮りに右山林の中六畝二歩の竹林が薪炭採草に適しないとしても、萓場であると称する五反四畝一七歩は松三〇年生の山林であつて、その木立の間に萓が生立しているものである。そしてこの山林は萓場として特に萓を仕立てているのではなく、松林の敷地に副産物として萓が生立しているに過ぎないものであるから、その主たる用途は薪炭採草にあるものである。その上萓は採草としての利用に好適であるから、これをもつて薪炭採草に利用し得ないとする主張は理由がない。
次に原告石田兼司は本件買収山林以外になお山林一反八畝一六歩を所有しているが、右原告両名の分については昭和三四年二月二〇日買収処分の一部を取り消した結果、原告石田兼司は六反二畝歩の土地を採草地として利用出来る状態にあり、同人の採草地は既に確保された。したがつて、本件山林の買収により右原告らが営農上重大な支障を来すことはなく、本件買収処分は適法である。
(二) 昭和三四年二月二〇日付買収処分の一部取消処分が無効であるとの原告らの主張について
(イ) 右取消処分の通知書に取消の理由が記載されていないことは認めるが、本件買収処分の取消通知にはその理由の記載は必要としない。買収処分の取消はその相手方の不利益を除きこれに利益を与えるに帰するから、行政庁の自由裁量に属し、相手方に通知するに際してもその理由は必要的記載事項ではないと解すべきである。しかして、本件買収処分の取消は第一審判決理由摘示のとおり、本件買収により原告石田兼司の営農上必要な山林が欠亡することは同人の農業経営に支障を来すので、本件買収処分が全部違法として取り消された趣旨にかんがみ、この判決の取消理由たる違法事由を除去し、もつて本件買収処分を公益違反たらしめない配慮の下になされたのであるから、その結果前記石田兼司にとり営農上必要とする採草地は確保された次第である。
(ロ) 行政庁はいわゆる瑕疵ある行政処分に対しては職権により取り消し得べきものであり、その期間に制限があるかどうかはそれぞれの事案により決せらるべきである。勿論行政処分の取消にはその取消事由の存在のほかに、取消をなすべき公益上の必要と取り消すことによつて公の秩序に及ぼす影響を考慮し、取り消すことによつて起る利益が大なる場合になし得るのであつて、徒らに無制限になし得るものではない。換言すれば、瑕疵ある行政処分でも、時日の経過により形成された法律的秩序を破壊してまでもその取消をなす必要があるかどうかが取消権の行使に当り裁量されるのである。本件買収処分につきこれをみるに、本件取消にかかる土地は開拓計画上入植者の採草地として計画されていたけれども、入植者らには配分せず、使用を許していなかつたのであるから、本件取消によつても入植者もしくは他の何人に対しても何らの不利益を与えるものではない。したがつて、本件買収処分の取消は原告に単に利益を与えるに帰し、前述の如き取消権の制限を受くべき場合に該当しない。
(ハ) 本件土地のうち一部取消にかかる部分が一部湿地であり、四類地が含まれていること(但しその面積が大半であることは否認する)、一部が採草地として計画されていることは認めるが、右土地に関するその余の原告らの主張は否認する。右取消にかかる土地は約五ないし六畝歩が四類地に属していたので、この部分を含め採草地として利用すべく計画していたもので、原告らの主張する如く劣悪な土地ではない。しかして、前述のとおり右の取消にかかる土地は未配分であつて、本件取消に当り同意を得る必要のないところである。
(ニ) 右土地のうち原告ら主張の区域が耕地化されていることは否認する。
以上のとおり、いずれの点からしても、本件買収処分の取消の効力がないとする原告らの主張は理由がないし、抗告訴訟が本来権利を侵害された者が提起し得ることからして、本件買収処分の取消により、その取消部分に限りすでに権利を侵害されていない原告らは、訴訟費用の負担につきしんしやくさるべきむねの主張をなすは格別、本件買収処分の取消の効力を争う法律上の利益はない。
(三) 仮りに本件買収処分に取消の事由が存在するとしても、左記のとおり本件買収地は関係入植増反者等にとつて絶対必要不可欠の土地であるから、行政事件訴訟特例法第一一条により、本件買収処分を取り消すことは公共の福祉に適合しないものとして原告らの請求は棄却せらるべきである。
(1) 本件買収にかかる山林は、茨城県入植者選衡委員会の議を経て、茨城県知事が入植および増反者に対し、昭和二四年四月二五日附で夫々区劃を定めて、自作農創設特別措置法第四一条の二の規定に基づきその一時使用許可をしている。
(2) 右許可部分については夫々の入植、増反者が昭和二六年四月頃までにおおむね開墾を完了しているところ、本件提訴は昭和二四年一月一九日で、第一審判決は昭和三一年四月五日言い渡され、仮配分の実施された時から既に十年を閲した今日におては、これらの入植、増反者にとつてはその一時使用を許可された土地は次に詳記するとおり同人らの農業経営の中核をなし、唯一の生活基盤となつている。
(3) 本件山林に当る部分の入植、増反者らの経営状況は左記のとおりである。
記
配分
番号
氏名
開墾前の農業経営面積
配分面積
本件土地の使用面積
本件土地を失つた後の経営面積
農地
宅地
39
上田安次
反
一〇反
〇〇〇
三反
一〇六
反
六反
八二四
40
寺内洸
三
八〇〇
六
二〇〇
三
六一五
六
三一五
41
沼田清
四
五〇〇
五
五〇〇
二
九〇八
四二三
六
五二九
42
43
上田庄介
七
九〇〇
二
一〇〇
一
一一九
八〇四
八
〇〇七
44
本多忠一
二
〇〇〇
八
〇〇〇
二
五一六
七
四一四
45
上田三之助
一〇
〇〇〇
二
五二二
46
上田半之助
一
八〇〇
八
二〇〇
一
九〇一
八
〇二九
47
上田熊司
三
三〇〇
六
七〇〇
一
二〇七
八
七二三
48
上田ふゆ
七
一〇〇
二
九〇〇
七一六
九
二一四
49
赤津忠次
一〇
〇〇〇
一
八二五
九一六
七
一一九
計
二一
七一五
二
二一二
右のとおり前記入植、増反者らの一戸当り平均耕作面積は一町歩で、もし本件山林を失うとすれば、これら入植増反者らのその後の耕作面積は一戸当り約七反内外に減ずることとなる。
(4) 全国(北海道を除く都府県)の開拓農家(入植のみ)一戸当り平均耕作面積は一、四九ha(一haは一町二五歩)であつて、茨城県のそれは一、四六haであり、これらと対比すると、本件開拓農家のそれは一町歩であるから、著しく低下している。
(5) さらに本件土地の関係開拓農家は左記のとおり戦災者もしくは農家の二、三男、または零細農家出身で、いずれも戦後自作農創設または同経営安定のため本件土地を生活の基盤となしている。
記
氏名
本件土地を含む農業経営面積
家族数
前歴
備考
稼働人員
上田安次
反
一〇
〇〇〇
五
二
実家の農業手伝
実家の経営面積一〇反六〇〇
寺内洸
一〇
〇〇〇
五
三
表具師
戦災者
戦災者
沼田清
一〇
〇〇〇
五
三
鍛治職
戦災者
増反
上田庄介
一〇
〇〇〇
七
三
農業
増反
本多忠一
一〇
〇〇〇
五
二
農業
二反歩の零細農家であつたが八反歩の配分をうけ自作農創設
上田三之助
一〇
〇〇〇
上田三之介死亡により他の組合員耕作中
上田半之助
一〇
〇〇〇
三
三
農業
一反八畝歩の零細農家であつたが八反二畝歩の配分をうけ自作農創設
上田熊司
一〇
〇〇〇
四
三
人夫
戦災者
上田ふゆ
一〇
〇〇〇
八
五
農業
増反
赤津忠次
一〇
〇〇〇
四
二
実家の農業手伝
実家の経営面積一五反一〇〇
就中赤津忠次、沼田清、上田庄介の三名は、夫々その世帯主方に同居していたところ、一時使用を許された土地をもつて農業経営の基盤となす意図の下に、左記のとおり家屋等を建築しこれに移り住んでいる。
記
氏名
家屋の所在
建物の概要
敷地面積
赤津忠次
配分番号四九内
住居木造平家瓦葺 一九、五坪
物置木造平家トタン葺 七坪
九畝一六歩
沼田清
配分番号四一内
住居木造平家杉皮葺 一一、二五坪
四畝二三歩
上田庄介
配分番号四三内
住居木造平家草葺 一二、五坪
八畝四歩
(6) かりに本件土地を失うとすれば、他によるべき土地のない開拓農家らにとつては、平均耕作面積約七反歩に減少するため現在の最低生存生活の域からさらに困窮の生活に追い込まれる結果となり重大問題を惹起する。
これを農業収支の面からみると次表のとおりとなる。
表
区分
収入
経費
農業所得
公租公課負担金
反当
農業粗収入
反当
農業経営費
一町歩の場合
二六、〇〇〇円
三〇、〇〇〇
(二六〇、〇〇〇)円
三〇〇、〇〇〇
六、〇〇〇円
八、〇〇〇
(六〇、〇〇〇)円
七〇、〇〇〇
(八〇、〇〇〇)
二三〇、〇〇〇円
一一、〇〇〇円
七反歩の場合
(一八二、〇〇〇)
二一〇、〇〇〇
(四二、〇〇〇)
四九、〇〇〇
(五六、〇〇〇)
一六一、〇〇〇
八、〇〇〇
税引所得
家計費
差引農業
経済余剰
二一九、〇〇〇円
二六五、〇〇〇円
△四六、〇〇〇円
一五三、〇〇〇
二六五、〇〇〇
△一一二、〇〇〇
備考 公租公課負担金は農業所得の五%家計費は一人当四二〇〇円(年間五〇、四七六円)とした。
(7) されば本件土地は関係開拓農家にとつて絶対必要不可欠のものであつて、現在においても生活費を切り下げ教育も義務教育が精一杯であり、新聞雑誌の購読も満足でないような非常に切迫した生活をしているのであるから、かりに本件土地を失つた場合正に償うべからざる困窮の状態におちいることは火を見るより明かである。
(四) 本件土地の買収処分を取消しても関係開拓者に配分されて然るべき土地が存在するむねの原告らの主張は否認する。この点に関する原告らの主張事実中(4)のうち上田三之助が単身入植者として一町歩配分をうけた事実、本件土地に二反五畝二二歩一時使用をした事実、同人が昭和二六年九月五日死亡した事実、同(6)のうち上田ふゆが上田耕一と結婚した事実および同居の事実、同(7)のうち本田次男が入植者として一町歩の配分を受けた事実、同人が本田虎二の次男で、長男が戦死したため父と同居している事実、同(8)の事実、同(10)の事実は認めるがその他は否認する。
(1) 本件土地中配分番号四一号の西側に隣接する字下原六五二番の一山林三反六畝歩は、開拓計画上薪炭採草地として利用することにしているのであつて農地とすべき土地ではない。したがつて原野の状況にあるものである。
(2) 本件土地より南西方約一五〇米距てた字下原四八九番の一山林一一反二畝一三歩の内約四反歩も、前号の土地と同じく開拓計画上薪炭採草地であつて農地とすべき土地ではない。したがつて原野の状況にあるものである。
(3) 字後久保三六四番三畝一九歩、同字三六五番五畝二七歩、同字三六六番二畝一〇歩、同字三六七番八畝一九歩以上計二反一五歩の土地も前各号の土地と同じく開拓計画上薪炭採草地であつて農地とすべき土地ではない。したがつて山林のままであるものである。
(4) 本地区の開拓者らはいずれも一町歩の配分面積であつて、本地区の如く畑作経営だけでは到底生活を維持することは困難であるから、上田三之助の配分地は地区内開拓者に増地配分し、開拓の用に供せしめる必要のある土地である。もともと絶対面積の少ない本地区の開拓者にとつては、既定土地の配分のみでは健全な自作農の経営を維持することは程遠いものがあるのである。
(5) 寺内洸は上田三之助の配分の分字岸高山四八二ノイ八反一四歩の内一反歩を耕作しているが、それは右寺内が耕地不足のため、たまたま空閑地となつていた前記土地の一反歩につき無断で耕作しているだけであつて、自己の耕地過少のため生活上やむなく耕作しているものである。
(6) 当地区において増反配分をうけた者は上田ふゆではなく同人の前夫亡上田直之である。上田ふゆは夫直之の死亡後この配分地を承継耕作していたものであるが、たまたま上田耕一との間に事実上の婚姻をし、先夫との間の子とともに同耕一宅に同居するに至り正式に婚姻し今日に至つているものである。直之との間には五人の子供があるが、これらが幼少であり、かつ経済上の理由により同居しただけで、直之の遺産もともに耕一に移転しているわけではない。現在は上田耕一と同一世帯であるが、右の子供らは直之の長男直次の妻帯とともに直之名義の家屋に移住して独立し、直之の配分地等を承継耕作することとなつているものである。したがつて本件土地が不要に帰しているわけではない。
(7) 本田次男が本田虎二と同居したのは、戦死した長男荘平の長男荘一郎(昭和一六年一一月五日生)が成年に達するまで実家の手不足を補うためであつて、虎二の営農を承継するためではない。右次男は前記荘一郎が成年に達すれば当然開拓地に移住し独立の生計を営むこととなつているものである。しかして、久家庫之介に対し生井沢字上原五四六番畑六畝二二歩を貸し付けたのは、自分の義兄弟であるが故に本田虎二が貸し付けたものであつて本田次男ではない。しかもこれは二年間の期間を限つて貸し付けたのであつて、昭和三六年秋作からは本田虎二が耕作することとなつており、耕地過剰の理由によるものではない。
(8) 上田半之助が上田三之助の配分のうち二反五畝を耕作したのは、三之助が半之助の実兄であつたこと、および自己配分耕地では生活上支障があるので苦しまぎれに空閑地を無断で耕作したものであつて、配分地が多ければかかる耕作をすることはなかつたものである。しかして自己配分の内の一部を土井某に貸し付けているのは、配分地が畑地ばかりで飯米に事欠く有様なので、米の補給をするために前記土井の田を耕作し、その代替として畑を貸し付けたもので、いわば畑と田の交換耕作であつて単に貸し付けているものではない。しかもこの貸付にかかる畑も昭和三六年秋作から上田が耕作することとなつているものである。このような代替耕作も耕地不足に基因するものである。
(9) 上田熊司は明治三六年四月二二日生であつて老齢ではない。同人は各の農閑期の短期間出稼に行つたことはあるが、ほとんど現在地において営農に従事している。出稼に行つたのは耕地不足のため経済的に行詰つたので、やむなく資金獲得のために他出労働しなければならなかつたものである。したがつて、離農しているような事実は絶対にない。
(10) 沼田清、上田庄介の両名はいずれも増反者であるが、戦災者および地元の借地人であつて、営農上必要とする宅地がないためその必要に迫られて無断で宅地に転用しているものである。これに対しては同人らは近く現宅地を取りはらい農地として利用することとなつている。
(11) 本地区一帯は畑作地帯であつて、上田虎男、寺内せつ、上田庄兵衛、上田国男、上田義夫らにとつても増反は必要であり、すでに売渡済である。
以上の次第であつて、本地区一帯においては一町歩の配分では生活を維持することは困難であつて、自作農として経営の安定を期するためには一戸の増地を必要とするものである。
二、原告上田耕造、同上田武男、同上田一郎の関係
右原告らの主張の撤回については異議がない。同原告ら主張の仮配分の事実は認めるが、畑地として開墾されたことは知らない。
証拠関係<省略>
理由
原判決別紙目録第一〇の土地が同目録記載の当該原告の単独所有であること、同第六の土地が当該原告らの共有であること(同第八の土地が当該原告らの共有であるか、分割により各一部単独所有となつていたものであるかについては後に判断する)および訴外茨城県農地委員会が前記目録記載の第六、八、一〇の山林について、自作農創設特別措置法第三〇条第一項第一号の規定により買収期日を昭和二三年七月二日と定めて買収計画を樹立し、同年四月二九日そのむね公告したが、被告は同計画にもとづき請求の趣旨記載の買収令書を発行し、同年一二月二〇日これを原告らに交付して買収処分をしたことは当事者間に争がない。
原告らは右の各買収処分にはそれぞれ違法が存すると主張するので、以下原告らの主張する違法原因につき順を逐うて判断することとする。
一、原告らは前掲買収の結果大字生井沢部落在住の農家はその営農上必要な山林に事欠き農業経営に重大な支障を来すむね主張するが、右の主張の採用に値しないことは原判決説示のとおりであるから、原判決理由中右の点に関する部分を引用する。
二、原告岡野正吉、同石田兼司の関係
(一) 当審における原告石田兼司本人尋問の結果(一部)によると、本件買収令書には名宛人を桑野庄吉、石田兼司と表示してあつたのみならず右桑野庄吉の住所の表示も原告岡野の実際の住所と相違していたが、買収の対象である山林は原告岡野、同石田共有の原判決別紙目録第六の山林を表示してあつたところから、原告石田も買収令書に桑野庄吉とあるのは岡野正吉の誤記で、買収令書は原告岡野、同石田に対するものであつて、本件山林が買収になることを察知したことが認められ、右原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、その他右認定を動かすべき証拠がないから、本件買収令書に右のような誤記があつたため原告岡野の同一性を認識せしめるのに著しく支障を来したむねの右原告らの主張はにわかに首肯し難い。したがつて本件買収処分が右の誤記により違法となるべきいわれはない。
(二) 原告岡野は田五反六畝二歩、畑六反六畝八歩計一町二反二畝一〇歩を耕作していること、前記目録記載第六の山林が買収されることになれば原告岡野が使用し得る山林は六反一九歩となること、原告石田は田四反五畝五歩、畑九反七畝九歩計一町四反二畝一四歩を耕作していることおよび原告石田が被告主張の山林一反八畝一六歩を所有していることは当事者間に争がない。しこうして、当審における原告岡野正吉本人尋問の結果(一部)および当審証人石田昇の証言(第一、二回、いずれも一部)ならびに弁論の全趣旨によると、右原告岡野所有の山林の内東茨城郡白河村大字上吉影字宮添六五〇番所在六畝(台帳面は六畝二歩)は竹林であり、同所字天神峯七五二番の八所在五反四畝一一歩は自然生の松が点在する萓場であることが認められるところ、竹林は薪炭採草に適しないといい得ようが、自然生の松の点在する萓場は薪炭採草地として利用し得ることが原審証人藤枝義雄の証言によりうかがわれ、前掲証拠および成立に争のない甲第一二号証中右認定に反する部分は措信し難い。次に右石田昇の証言(第二回)によると、原告石田所有の右山林は買収処分当時は松苗を植林したばかりの状況で薪炭林としても採草林としても使用不能であつたことが認められ、右認定を動かすべき証拠はない。しかるに、成立に争のない甲第五号証の五、六当審証人石田昇の証言、(第一、二回)当審における原告岡野正吉、原審および当審における原告石田兼司各本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると、右原告両名の耕作面積は昭和二三年当時も前記と変りなく、右原告らの共有にかかる原判決別紙目録第六の字下原六五一番地の山林は当時原告石田兼司において採草地、薪炭林として使用していた唯一の山林であつたことが認められるから、右六五一番地の山林を買収されると、同人は営農上欠くことのできない堆肥、燃料の補給源を全く絶たれることとなり、同人の農業経営に重大な支障を来すこととなることが認められる。
(三) ところで、右原告両名の分については被告が昭和三四年二月二〇日六反二畝の土地につき買収処分の一部を取り消したことは当事者間に争がない。
右原告らは右取消処分は無効であると主張する。
しかしながら
(イ) 右取消処分の通知書に取消の理由が記載されていなかつたことは当事者間に争がないが、かかる取消処分の通知書に理由を付することが法令上要求されていないから、これを欠いたため右取消処分が違法、無効であるとはいえない。
(ロ) 右取消処分は本件買収期日より十年以上を経過した後に行われたものであるが、本件買収処分は原告石田の営農上必要な山林を奪う結果となる点において違法が存ししかも右取消処分により法的利益を侵されるものの存在することは本件全証拠によつても認められないから、被告は職権によりこれが取消をなすに妨げないものというべきであり、被告が前記期間の経過により取消権を失つたという原告の主張は採用し難い。
(ハ) 買収処分を取り消された土地は一部湿地であり、四類地が含まれ、一部が採草地として計画されていることは当事者間に争がないが、弁論の全趣旨から成立が認められる乙第五号証の二によつても半分以上四類地が含まれていることは認められず、一部湿地であり、四類地が含まれているために右取消処分が無効となるべきいわれはなく、また一部が採草地として計画されていても、何人にも配分または使用を許した事実はないことが、当審証人上村武吉の証言(第一回)により認められるから、関係者全員の同意がない限り取消が許されないむねの原告らの主張は理由がない。
(ニ) また、たとえ買収処分を取り消された土地の中原告主張の間口二九尺、奥行五、五間の部分が耕地化されているとしても、それがために右買収処分の取消が無効たるべきいわれはない。
したがつて右取消処分は有効というべきであるから、右取消処分により本件買収山林のうち六反二畝歩は原告石田兼司において採草地として利用できる状態になつたというべきである。
(四) 原告らは買収処分を取り消された土地は劣悪な土地で大部分は採草林に適しないと主張し、当審証人石田昇の証言(第二回)中には右主張に副う供述部分があるけれども後記証拠に照らし措信し難く、かえつて同証言、当審における原告石田兼司、同岡野正吉各本人尋問の結果により成立が認められる乙第一一号証、当審証人寺内洸の証言(第二回)、当審における検証の結果によると、右土地は大部分櫟林で、南側が高く北側が低く勾配をなしているがさほど劣悪な土地ではなく、西側の四類地の木立も普通であつて右土地は一部湿地があつても大部分が薪炭林、採草地として利用し得る状況にあることがうかがわれる。また、当審証人石田昇の証言(第二回)によると、原告石田所有の前記山林は前記松苗が生長した結果燃料源として使用し得る状態にあることが認められる。
なお、原審証人石川博、同藤枝義雄、当審証人上村武吉(第一回)の各証言によると、農業経営上必要な採草林および薪炭林として、大体において耕地面積に対し三割ないし四割程度の山林を保有すれば農業経営に支障を来すことはないこと、一般に人口の増加に伴い未墾地を少く農地を多くするため、栽培採草の方法を採用する傾向にあることが認められる。
(五) 以上認定の事実によると、原告岡野正吉は元来本件買収処分後も同人の耕地面積一町二反二畝一〇歩に対し、同人所有の山林中竹林を除いてもなお五反四畝一一歩の薪炭採草林を有していたのであるから、同原告に関する限り本件買収処分には同原告主張の如き違法の点はなかつたものというべく、原告石田兼司に関しては本件買収処分は前記のとおり違法であつたが、その後本件買収処分の一部取消および同人所有山林の状況の変化により、同原告は同人の耕地面積一町四反二畝一四歩に対し合計八反一六歩の採草林および薪炭林を有することとなつたのであるから、本件買収処分に存した瑕疵は既に治癒されたものというべきである。
三、原告上田耕造、同上田武男の関係
(一) 農地委員会は未墾地の買収計画を樹立するに当り、その所有者が自ら開墾する意思を有していたとしても必ずしもこれに拘束されるものではないから、右原告らが原判決別紙目録第八の山林をいずれも当初から畑地として開墾すべき意思を有していたとしても、そのために本件買収処分を違法とすべきいわれはない。
また、右原告らがそれぞれその主張の如く本件係争地を含め土地の仮配分を受けた事実は当事者間に争がないが、そのことから直ちに右山林が右原告らの営農上欠くべからざる土地であるとはいえない。原審における原告上田耕造本人尋問(第一回)の結果中には、右山林全部を開墾し畑地として保有することが同原告らにおいてそれぞれ一家の生活を維持するため必要不可欠であるむねの供述部分があるが、成立に争のない甲第七号証の一、原審における原告上田耕造本人尋問(第一回)の結果によると、原告上田耕造は昭和二三年四月二九日現在田三反二畝二四歩、畑六反五歩合計九反二畝二九歩を耕作していたこと、当時同人の家族数は七名、そのうち農業に従事することができるものは三名であつたことが、また成立に争のない甲第五号証の二原審における原告上田耕造本人尋問(第一回)の結果によると、原告上田武男は昭和二三年四月二九日現在田二反五畝、畑七反一二歩合計九反五畝一二歩を耕作していたこと同人の家族数は当時四名であつたことが、それぞれ認められるから、これらの事実に照らし原告上田耕造の前記供述部分はたやすく措信し難く、その他には右山林全部を開墾し畑地として保有せしめることが右原告らの営農上欠くべからざることを認めるべき証拠がない。したがつて右山林は同人らに保有せしめるべきであつてこれを買収するのは違法であるという右原告らの主張は採用し難い。
(二)(イ) 原告上田耕造、同上田武男に対する買収処分は前記山林を同人らの共有としてなされたものであつて、右山林全域に対する右両名の各共有持分がその対象であるから一筆の土地の一部の地域の買収ではなく、その買収すべき地域を令書上特定する必要はない。したがつてこれを一筆の土地のうちの一部の買収であるとし、その買収すべき地域を令書上特定すべきであるのにこれをなさず、内容不明確な行政処分であるという右原告らの主張は当らない。
(ロ) 本件山林はもと原告両名の共有であつたが右両名間の協定により分割されており、したがつて右両名各単独所有区域につきそれぞれ他の原告の共有持分を対象とする本件買収処分は違法というべきことは原判決説示のとおりであるから、原判決理由中右の点に関する部分を引用する。この点に関し原判決には主文と理由とに原告ら主張の如き齟齬があるが、そのことは原判決自体から見て明白な誤謬というべく、原判決を取り消すべき理由となすに足りない。
四、原告上田一郎の関係
成立に争のない甲第五号証の一、原審(第一回)および当審における原告上田一郎本人尋問の結果、原審における原告上田耕造本人尋問(第一回)の結果、原審(第一、二回)および当審における検証の結果を総合すると、原告上田一郎は終戦まで旧海軍に奉職していたところ、復員後は専業農として生計を樹てるため、昭和二三年四月二九日当時田一反四畝一五歩、畑四反一畝合計五反五畝一五歩を耕作していたが、耕地過少のため生活に窮し、原判決添付目録第一〇記載の山林を、開墾して畑にするため買い受け、指定前約一反五畝歩を自家開墾し(原審証人立川光栄の証言(第一、二、三回)中右認定に牴触する部分は措信しない)、その後残余の部分も開墾して耕作していることが認められるのみならず、同原告が被告から本件係争地を含め七反七畝歩仮配分されたことは当事者間に争がないから、同原告が従来有していた畑地は専業農家として立つて行くには少きに失し、前記土地は同原告が一家の生活を維持するため不可欠であつて、同原告をして開墾の上畑地として保有させるべきであり、これを買収したのは違法というべきである。
五、結論
以上の次第で、原判決別紙目録中第六の土地について被告のなした買収処分の取消を求める原告岡野正吉、同石田兼司の本訴請求は、その余の争点につき判断するまでもなく理由がないものというべきであるから、右原告両名の請求を認容した原判決は失当としてこれを取り消し、右原告両名の請求を棄却することとする。同目録第八の土地については原審において一部開墾を認められた地域を除くその余の地域に関し被告のなした買収処分の取消を求める原告上田耕造、同武男の本訴請求は、共有持分に関する点を除外し失当であるから、右請求を棄却した原判決は相当で本件控訴は理由がないからこれを棄却すべきであるが、原判決の主文と理由に前記の如き齟齬があるから、原判決主文に主文掲記のとおり附加すべきものとする。同目録第一〇の土地については原審において一部開墾を認められた地域を除くその余の地域に関し被告のなした買収処分の取消を求める原告上田一郎の請求は正当であるからこれを認容すべく、これを排斥した原判決は失当であつて、原判決中同原告敗訴の部分は取消を免れない。よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九五条、第九六条、第八九条、第九〇条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 関根小郷 福島逸雄 荒木秀一)
(別紙)<省略>